祭事

国指定文化財

重要文化財

紙本墨書般若心経源頼家筆 建仁三年八月十日

源頼家筆写の般若心経

解説

現存する源頼家唯一の自筆書とされています。建仁2年(1202)7月、父頼朝の死後3年目にして鎌倉幕府第2代将軍となりますが、実権は北條時政、母政子らの手にありました。政権内の軋轢(あつれき)に苦悩する青年将軍は、翌3年7月20日、にわかに発病します。この般若心経は病悩のなかで筆写され、8月10日に三嶋社へと奉納されました。

~その後、この般若心経は数奇な運命をたどります。わかっているだけも2度社外に持ち出されながら、神意に導かれるように再奉納によって戻ってくるのです。いつの頃からか流出したこの経文を手に入れた亀井重矩は、その由緒を知って、享保8年(1723)、三嶋大社へと奉納します。しかし、明治時代となり、この経文を管理した大社の別当寺、愛染院が廃寺となった時、蓮華寺に移管されました。そして明治29年、蓮花寺から改めて奉納がなされ、現在に至っています~

※源頼家(みなもとのよりいえ):鎌倉幕府第2代将軍。1182年生まれ、1204年没。父頼朝が死去した時、彼はまだ18歳でした。23歳の若さで生涯を閉じた彼は、伊豆修善寺に葬られています。

経文末尾

鎌倉幕府の政争に翻弄される若き将軍、源頼家。病悩の中にあった彼は、三嶋社にその平癒を願い、この経文を奉納した。